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2007年6月17日 (日)

名古屋へ弔問

昨年8月に亡くなった友達の家を、団地の同じ棟で親しくしていた友達と一緒に弔問に訪れた。奥さんの介護もあって60才で早期退職されたご主人は、大会社の重役をされていただけに、3年を経た今も気力横溢、圧倒される思いであった。

奥さんのそれまでの病状を詳しくよどみなく1時間ほど述べた後は、ご自身の企業戦士時代の華々しい活躍について数々の話をされた。私はまず、途中とどまることなく、正確に経過を辿って話されるその記憶力に驚かされた。

そして、出世人間とはこういう人たちか!と私の周りには見かけない初めてのタイプの人に出会った気がした。

病状が悪化した頃、奥さんは「私の人生は何だったの?」と問われたそうだ。かつて大気・水質・騒音の「公害3法」という国家試験が始まったとき、「おさんどんをしながら勉強したのよ」と言って、まっさきに三つとも合格したことに頭の良さに感心したものだった。だが、そうした資格も何もいっさい社会的に生かされることはなかった。

10数年リューマチと闘い、ステロイドの副作用で骨はボロボロとなり、「コルセットで鎧をまとっているようなの」と話されていたが、突然の大動脈破裂で帰らぬ人となった。

ご主人は、三食自分で作り、掃除、洗濯をきちんとこなし、花が好きだからと庭の手入れをよくし、読書、芸術鑑賞を楽しんで、「昔から望んでいた人生を過ごしている」、と充実した日々であることを強調されていた。だが、奥さんを病気にし、早死にさせてしまったのは、「主に自分の会社勤めのせいだ」とも話された。

帰り道、友達は「もう2~3年したら考え方が変わるでしょうね」と言った。今は頑張りすぎていられるのだ。

3時間も、堰を切ったように話されたということが、企業戦士からの急激な環境の変化に馴染みきっていないことの表れだと、私には思われた。

車は新車だった。前の車は奥さんを病院に送り迎えしていたため、思いがあり過ぎて、何度かこすったり、傷つけたりしたのでいやになって買い換えたそうだ。

本当のところは寂しくってたまらないのだろうな、と心からお気の毒な気がしてきた。

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