過酷な仕事
新田次郎氏の短編集を読んだ。その中の「強力伝」は、氏の処女作で直木賞を受賞した作品である。
昭和16年に、ある新聞社の依頼で白馬岳の頂上に50貫(約187㎏)近い花崗岩の風景指示盤を背負って登り、その労苦が遠因となって亡くなった、富士山の強力(ごうりき)の実話をもとに書かれている。
怪力の持ち主ということで、思い出したことがある。
我が家のピアノは、今までに、2回移動させたことがある。
以前住んでいた滋賀県から神奈川県に転居したときと、神奈川県内で家を引っ越ししたときである。
1回だけ驚くべき光景を目にした。
滋賀県で引っ越し業者に頼んだときは、ピアノだけは別だった。
そのとき、二人やって来て、ピアノを一人の肩に背負わせたのである。
まだ若い、端正な顔立ちをした青年だった。
普通の体格に見える、その肩に、ピアノを結わえ付けたベルトが食い込んでいた。
歯を食いしばって、一歩一歩足を踏みしめながらゆっくりと進んで、庭先からトラックまでの10メートル足らずの距離を歩いた。
その時私は”どうしてこんな過酷な仕事を”と息をのむ思いであった。
神奈川の家に運び入れるのは、日通の人たちだった。その人たちがお昼を食べながら、「ピアノを運ぶ、あいつらは力はあるけど頭はない」と話していて、余計あの青年が可哀想に思えた。
25年前のことだが、今でもその時の姿が、悲壮感をもって思い出される。
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