池田晶子さんの早世を惜しむ
哲学者池田晶子さんの著作を読んで、2年前に46才という若さでさっさとこの世に別れを告げた慧眼の人をただただ残念に思う。
かつて”新潮45”という雑誌で、池田晶子さんが毎号「帰ってきたソクラテス」という題で連載していたのを読んでいた。
内容はまったく覚えていないが、わかりやすく、面白い言葉をまじえながら、哲学を語っていて、これは、とてつもない才能の持ち主だと感じたものだった。
今回読んだのは、「メタフィジカル・パンチー形而上より愛をこめて」という本。著者が10年以上前、まだ30代の頃書いた本だが、吉本隆明、埴谷雄高らの、思想界の大家とされている人たち(名前だけ知っている)を真っ向から斬りつけている。
私が残念に思うのは、亡くなる少し前には、人生に疑問を抱き始める年頃の少年たちに対して、「14歳からの哲学」、さらに「14歳のきみへ」などの本を著し、考えるという行為を身につけるための哲学への入り口に、自らの著作によって導こうとしていた人が、いなくなったという理由からである。
私なども、哲学書など、はじめから分かるはずがないと、手に取ることもなかったはずだが、哲学用語によらない哲学の文章のおかげで、形而上なる分野を垣間見させていただいた、と思っている。
これだけは哲学用語の”形而上”とは、”時間・空間の感性形式をとる感覚的現象として存在することなく、それ自身超自然的な、ただ理性的思惟によってとらえられるとされる存在”のことをいうそうで、いかにもむつかしい。
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