« 当たり前のことが出来なくなった時 | トップページ | だしポット »

2009年7月28日 (火)

水墨画展の集い

Img184

Img183_2

毎年、横浜で開催される友達の水墨画展の観賞グループを、倉敷の銘菓から「むらすずめ」と名付けて、一層、親しい集まりとなった。

この水墨画の会の先生は、今年、文部科学大臣賞を受賞されたそうで、その見事な大作が展示されていた。

友達は、自らも教室をもっているし、その先生のお弟子さんの中では1、2の実力を持たれている。(彼女は謙虚な人だから、ひけらかすことはされないが、こちらはそのように感じている)

水墨画でも、顔料という絵の具で自由に彩色しているので、日本画と変わらないようなものもある。

友達の1枚の画は、「初音」と題して、梅の木に鶯がとまっている図。鶯が、いかにも「ホー」と鳴いているかのようなくちばしが、なんともほほえましい。

もう1枚は、「除夜」という題で、若い坊さんが力強く、除夜の鐘を打ち鳴らしている光景が画かれている。

先生には、顔を画くのは難しいから、後ろ姿にした方がいいと言われたそうだが、見る方としては、表情があるほうが、面白い。

鐘をつく棒は、一方の輪郭をなくして流しているところが、速い動きを表している。

こういうところの、工夫された画きかたにも感心した。

他の作品についても、友達に説明してもらいながら観賞するのは、画をより親しみ深く味わえる。

また、毎回、なにか教わることがある。

今回、ふと話されたことは、『中学校の図画の先生に「日本画は、歩きながら画いていく」と教わったように思う』。

1ヶ所で見える風景を収めるのではなく、歩きながら、要所要所数ヶ所で目に入ったものを一枚の画におさめるのだという。なるほど、水墨画の代表のような枯山水の画などまさにそうだ。

同じ図画の先生に習っても、私のようなボンクラには何一つ思い出せもしないが。

その後の、会場内のレストランでの語らいも楽しく、話が尽きなかった。

みんなと一緒に”いい一日だったね”という思いで、会場を後にした。

|

« 当たり前のことが出来なくなった時 | トップページ | だしポット »