『ノボさん』
伊集院 静の小説『ノボさん』には、素顔の正岡子規と夏目漱石が見られる。
周りのみんなに慕われる天性の人柄であった子規と、神経質で近寄りがたい雰囲気をもつ漱石とが、心底相手を思いやる深い友情で結ばれていたことを知った。
病に耐えながらも、俳句と短歌、文学に身を削って没入した子規。
若い頃からノイローゼに襲われることもあった漱石。
事実を丹念に調べ上げた上での物語りだから、そのときどきの俳句、書簡に見える心情はそのままのものだ。
型破りな子規と、折り目正しい漱石との対照がおもしろい。
二度と子規には会えぬと思いながらロンドンに旅立った漱石に、子規の訃報が届く。
「倫敦(ロンドン)にて子規の訃を聞きて」と題して作句した中に、
手向く(たむく)べき線香もなくて暮の秋
がある。同い年であった漱石の哀惜が伝わってくる句である。
★
夏目漱石の『坑夫』は、未知の青年が自らの体験を小説にしてほしいと、持ち込んだルポルタージュ的な作品である。
漱石自身は、「これは小説ではない。事実である」と断っているが、一つ一つの場面に遭遇したときの、主人公の心の動きが微細に描き出されている。
シキと呼ばれる銅山(やま)の坑内での悲惨な状況の中で、ほんの少し変化しただけで、主人公の心持がゆらぐ様子が、時にはユーモラスに語られ、読むほうは、ついニヤついたりしながら、引き込まれてしまった。
大半が、たった3日間ぐらいの出来事を詳しくたどることに費やされている。
これは、たまたま読んだ、ロシアのノーベル賞作家、ソルジェニーツィンの収容所での1日を描いた『イワン・デニーソヴィチの1日』に並ぶくらいの作品ではなかろうかと思った。
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