「茨城のり子展」へ
自分にとってなにが一番充実感を味わえるものかは、歳とともに変わってくることもある。
目の前に飛び込んでくるものだけを待っていたのでは、行動範囲は狭まるばかりとなる。
自身の体力と、ちょっとした小遣いでもって、自分のような乏しい感受性しか持たぬ者の心に、小さな喜びをもたらしてくれるものがあるか、などを考えながら、積極的な気持ちでそういうものを見つけていくことにした。
それで新聞の催し欄を見て、世田谷文学館の「茨木のり子展」を見に行くことにした。
詩はほとんど読まないが、茨木のり子さんの詩だけは、強烈に胸を貫く。
狭い館内をゾロゾロと人に押されるままに進むぐらいに入館者は多かった。
男性も3割くらいいた。
のり子さんは、49歳で夫に先立たれ、79歳で亡くなるまで一人暮らしだった。
自分の死亡通知を準備していた。それには、弔意の品は一切送らないでほしいと、そして、”あの人も逝ったか”と、たった一瞬だけ思い出してくださればそれで十分ですと、見事な別れの挨拶だった。
のり子さんの詩は、自らを鼓舞する激しい口調のものが多い。
73歳のときの『寄りかからず』の中の
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合なことやある
寄りかかるとすれば
それは 椅子の背もたれだけ
『自分の感受性くらい』の中の
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分でまもれ ばかものよ
などは、誰もが生き方のお手本としたいような言葉だ。
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