鉄道好き
内田百閒は、理屈抜きで、体中で鉄道好きを感じさせる。
『阿房列車』シリーズを読み始めて、読んでいるうちに、こちらまでその楽しさに引き込まれてしまう。
そのまま読み飛ばすのが惜しくて、”いいなあ!”とかみ締めて味わいたくなる”ことば”がいっぱい出てくる。
『六月晦日、宵の9時、電気機関車が一声嘶いて、汽車が動き出した』
で始まる、鹿児島阿房列車。”いなないて”が、いかにも生きているものに対するように愛情に満ちている。
東北本線阿房列車の、
『今、仙台を出て、まだ仙台平野の続きを走っている102のバウンドの調子は申し分ない。速いだけでなく、踏みしめる足許も確かだという気がする』
は、心から、乗っていることを楽しんでいる。
東京駅でたまたま見かけた、D51について、
『電車の線路の向うにある貨物船の薄闇の中に、池袋の方から恐ろしく大きな機関車がそろそろ這入って来た。私なぞ滅多に見ることのない間近かの所を、物物しく徐行しているので、つくづくその威容に見とれる事が出来た。』
と、感動の様子が伝わってくる。
このとき、D51について、鉄道員2人の間でこんなやりとりがある。
『我我の方では、Dの51だからデゴイチと云うのです』
すると、若い鉄道員の方が、
『僕達、鉄道の者でしょう。機関車をつかまえて、そんな事云うのは、云ってもいいと思いますか』
と、”愛称だ”いや”侮蔑だ”と、口喧嘩になったという。
これも、鉄道員さんたちの誇りと汽車への愛情が伝わり、すばらしいと思う。
今度のダイヤ改正で、老朽化した列車『トワイライト エキスプレス』やブルートレイン『北斗星』のラストランがあり、多くのファンがつめ掛け、名残を惜しんだ。
その鉄道ファンたちの何倍も、携わった運転手さんたちは寂寥を感じているにちがいない。
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