煎茶のお稽古
《飾り棚手前》
煎茶のお稽古4回目。
10年前に私は先生宅へお稽古に出かけていたのだが、その頃、先生はある病院へ出稽古に行かれていた。
そして、何か行事があったとき、2、3度そこのお弟子さんたちとお会いしたことがあった。
病院の看護師さんや事務の人たちだった。
このたび私がお稽古をするようになって、ご一緒するのは、そのグループ4人の人たちだ。
新入りの私としては、それで大いに安心した。
みんな親切で、ちょこちょこと気付いたことを教えてくれてありがたい。
この静岡が宗家の黄檗弘風流の煎茶手前は10年ぶりなのだが、その後に、横浜が宗家の東阿部流を2年あまりお稽古したので、後から習った東阿部流がじゃまをしてしかたがない。
流派によって、中身はまったくちがう。
例えば、東阿部流は茶托に湯呑をのせたまま膝の上までもっていくが、黄檗弘風流は茶托を畳の上に残して、湯呑だけ口にもっていく。
飲み方の”基本のき”であるこんなことでも、私はうっかりすると東阿部流がでてきたりする。
それにしても、10年後の記憶力の減退というものは自分でも嘆かわしい。
それでもそれをひしひしと感じさせてくれるのも、こうして、新たなことを始めたからなのだ。
いつまでも指示を待って動作するのではみっともない。少しずつでも進んで、お客さんになっていただく人たちに、きれいな所作を見てもらうようにならなくては!
お稽古とはこういうものだと思う。
目の前に克服しなければならない課題が与えられるから、張り合いも感じることができる。
覚えなきゃいけないのと、一つずつものにしていく喜び、の二つがあるから、緊張感と達成感の両方を味わえるのだと思う。
楽しんでいきたいと思っている。
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