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2016年10月31日 (月)

足尾銅山跡と足利観光

中旬に友達5人と栃木県の足尾銅山跡と、足利学校、鑁阿寺を訪ねる1泊旅行をしてきた。
 
夏目漱石の「坑夫」を読んで、悲惨な歴史を刻んだ足尾銅山を訪れたいと思っていた。
 
まず、行く先を決めたら、時間、列車、宿を探す。
その途中で、様々な知りたいことが湧いてくる。
 
”特急りょうもう号”の”りょうもう”は何から名づけられたのか?
 
両毛とは、古代の上毛野(かみつけの)・下毛野(しもつけの)2国の併称であるという。
そして、大化の改新後に国名を2字とすることになり、上毛野は上野(こうずけ)の国となって今の群馬県、下毛野は下野(しもつけ)の国となって今の杤木県となった。
現在は”もう(毛)”の語は使われていないのに、特急列車に名づけられているのはおもしろい。
歴史にも地理にも疎い私はこんなことも知らなかった。
 
それから、「鑁阿寺」は何から名づけられたのか疑問に思った。
”鑁”という字は見たことがないような、辞書を引いてもない。
「鑁阿寺」を引いたら出て来た。
”鑁阿”というのは足利氏の氏寺であるこの寺を創建した足利義兼の法名だという。
 
足尾銅山跡は昭和48年に閉山になるまでの360年余の銅山の歴史を、「通洞坑」跡の坑道に人形で再現している。とても興味深いものだった。
 
温泉につかったあとの、宿での心ゆくまでの語り合いは何よりたのしい。
 
計画を立て、みんなに日程表を送り、旅を終えて記念の写真を1枚だけみんなに送った。
何通も手紙を書いたりするのは、下手な字の練習にもなるし、こういう作業がある間はするべきことがあるという充実感を覚えながらやっていた。
 
そして、みんなから「たのしかった!」と、電話や手紙をもらって、そこで旅のしめくくりの楽しみを味わっている。
 
 
 

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