寝る前は百閒さん
夜寝る前は内田百閒の随筆を読みながら、心地よい眠りにつくことにしている。
小説は、時には話の筋を追いたいばかりに、または、区切りのいいところまでとか、難しいけど我慢して読もうかとかで、何が何でも読み始めた一冊の本を読み上げようとすると、いい気分で寝られないこともある。
百閒さんの随筆は、いつなにを読んでも、自分の「好き」を貫こうとする姿が小気味いい。
何気ない文章の中にも百閒さんの偉大な資質が随所に現れていて、感嘆させられる。
そして、飄々としたユーモアあふれる言葉は、この偉大な人の素直を貫いた人生を物語っていて、「ふふっ」と笑みがこぼれてしまう。
用事がないのに汽車に乗ってはいけないという事はあるまいと、汽車に乗って、行く先で降りずに引き返しても満足していた。
その鉄道好きから、鉄道八十周年で東京駅の名誉駅長を頼まれる。
それを聞いた百閒さんは、それまで何でもかでもことわってしまえという気持ちで応対していたのが、とたんに大きな声で笑い出してしまう。
面接に出る前に引き締めた顔の筋なぞ、ずたずたに切れてしまった。
そして、当日は、東京駅で12時半に特急「はと」を見送ったあと、夕方の晩餐会まで用がないというのを聞いて、画策する。
”汽車好きの私としては、誠に本懐の至りであるが、そうして初めに、一寸微かに動き、見る見る速くなって、あのいきな編成の最後の展望車が、歩廊の縁をすっ、すっと辷る様に遠のいて行くのを、歩廊の端に靴の爪先を揃えて、便便と見送っていられるものだろうか。
名誉駅長だろうと、八十周年であろうと、そんなみじめな思いをする事を私は好まない”
展望車にギリギリのところで乗ってしまおうというのである。
そして内密に協力者も頼んで、やってのける。
熱海まで乗って行って、すぐに引き返してくる。
やることが痛快、それでいて人情深く、上品な人である。
何気ない事ばかり綴っていても、内田百閒の文章は深い所から生みだされたものだ。
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