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2017年10月 1日 (日)

備中松山城

近くに長年住んでいて、見向きもされなかった場所が、観光地ブームで名高く知られるようになって、そんな価値ある場所だったのかと、遠くに住んでいて教えられることがある。
岡山県高梁市の備中松山城は、ただのちっぽけなお城で、わざわざ訪ねるほどのものではないと思っていた。
 
それが、最近は、”天空の城”だのともてはやされるようになり観光客が絶えないそうだ。
先年、高校の同窓会のあと、高梁市に住む友達が車で案内してくれた。
松山城はお城の駐車場までだった。
そこから天守閣まで登るにはウォーキングシューズでも持ってこなくては、と言われた。
 
「石火矢町ふるさと村」は車から降りて少し歩いた。
以前に「吹屋ふるさと村」を案内してもらったのだが、「石火矢町ふるさと村」は新たに観光地入りしたのか、知らなかった。
 
旅雑誌「ノジュール」に備中松山城が載っていた。
”日本一高所にある現存天守、戦国時代の山城の遺構や雲海”という見出し。
たいしたものではないか!
 
まだまだある。
高梁駅から歩いて15分の「天柱山頼久寺」は、江戸初期の大名で、作庭家として有名な小堀遠州の作った枯山水庭園だそうで、見事に作られた庭園の写真に、これほどの歴史的に価値あるものが、それほど人に知られずにいたことに驚くばかりだ。
 
20代半ばの遠州が備中松山藩に徳川家の国奉行として在任し、城下町の町割りの整備を行った。街路が碁盤の目のように区画されており、ところどころに「食い違い」という、敵が攻めてきたときに見通しを阻む狙いがあったという。
「ブラタモリ」のタモリさんが飛びつきそうな話だ。
 
これだけ見どころがあるなら、少し遠のきかけた同窓会だが、次には行って、高梁市で一日を過ごすのもいいなという気がしてきた。
 
親切なことに「ノジュール」は、備中松山城までは観光乗り合いタクシーがあることや、駅前のホテルも紹介してくれている。
 
どうも岡山県民というのは、奥ゆかしい県民性のせいか、自慢たらしい大仰な宣伝をしない。
内田百閒、薄田泣菫という偉大な文士の名前も、地元ではあまり知られていないのも同様に思う。
 
 
 
 

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