『断腸亭日乗』
来週、神奈川近代文学館の秋の旅で、千葉県市原市や浦安市を訪れる。
永井荷風が26年間過ごした家は東京大空襲で焼失し、最後に移り住んだ市原市の”荷風の散歩道”などを散策する予定だ。
それで、今、荷風が42年間にわたって書き続けてきた日記を読みやすい形にして綴られた、磯田光一編『断腸亭日乗』を読んでいるのだが、なかなか読み進められない。
荷風の天才的知能によって蓄えられた膨大な知識から自然に語られる言葉は、和漢の古典からの引用が多く、しかも文語体で綴られている。
強烈な個人主義者である荷風は、物事に対する好悪が徹底している。
例えば、
”(東京市会議員の収賄事件について)記事の文拙劣読むに堪えず。田舎の方言を用いて都会の事件を叙す。予これを好まず。故に新聞紙を手にせざるなり。・・・・
市会議員の続々羅致せらるる事を新聞記者は芋蔓式に勾留せらると記したり。昔より株連蔓引(しゅれんまんいん)といふ熟語あり。何を苦しんで芋蔓といふが如き田舎言葉を用いるにや。”
「株連蔓引」という熟語は見たことがない。
大辞泉を引いてみたが、株(しゅ)や蔓(まん)はあるが、「株連蔓引」という熟語は載っていない。
これは昭和3年に書かれた日記である。わずか90年にもならないうちに消えてしまったのか、中国の古典の中の熟語で一般的に使われるような言葉ではなかったのかしらないが。
市川文学ミュージアムや浦安市郷土博物館で、どんなものに出会えるか楽しみにしている。
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