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2019年7月12日 (金)

同級生と話して納得できること

同じ地区に住んで居る高校の同級生がいる。

道でひょっこり出会って立ち話をしたりしていた。たまたまバスで一緒になり、東京まで一緒だったので沢山話が出来た。

2年前にご主人を亡くされ一人暮らしだが、スクウェアダンスとエスペラント語は長年続けているそうだ。

その彼女が「最近テレビの字幕が読み切れなくなった」と言った。

私も吹き替えなしの洋画の字幕を一生懸命追いかけているが。

自分でも唖然とする不注意に気づくことがある。

先日孫たちが来た時、補聴器の充電池が切れたので、サービスでもらった使い捨ての電池をはめ込んだ。

夜になって補聴器をはずしてみたら、左耳は電池が消耗しないように貼ってあるシールがついたまま、しかもシールの厚みで半分しかふたがとじられないままだった。こんな状態で一日耳に付けていたとは、自分でも驚いた。

同じ日にもう一つ、うかつな失敗をした。

参議院選挙の2週間前に市会議員選挙があった。投票用紙が置いてあるのを、自分の名前だけ見て、これだと思い、公民館へ行ったら「これは参議院のです」と言われた。「取りに帰ってきましょうか」と言ったのだが、こういうのも多いらしい。これで帰ってもう行くのが嫌になったからなどとやめられては、投票率が下がって困るから、別に用紙なしでも確認できるよう担当者が控えていた。

失敗や間違いや忘却など、起きたことを消沈していてもしかたがない。同じようなことを繰り返さないように肝に銘じるだけだ。

 

 

 

 

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