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2020年10月27日 (火)

小学校時代

いつまでも戦争の名残りを思わせるものに、傷痍軍人の存在があった。

倉敷の町の中心に鶴形山という低い山があり、阿知神社というお宮でお祭りが行われていた。

春祭り、秋祭りは子供たちにとって一番の楽しみだった。

その参道に立ち並ぶ綿菓子やアイスクリームの出店の間に、白い着物を着た傷痍軍人が托鉢僧のような姿で立っていた。

片足だったり、片腕がなかったりする人たちが数人、アコーディオンを弾いている人もいた。

本物の乞食は座っていた。

この日は女の子は着物を着せてもらえるので、浮き浮きした。

家では、”ゆりわ”といった大きな寿司桶に、母が腕を振るって祭り寿司を作っていた。

瀬戸内海の鰆の酢漬けが王様で、穴子のかば焼き、いかの松かさ焼き、芝エビなどを飾った祭り寿司は豪華なものだった。

子供はエビの皮むきと、ゆりわに広げた寿司飯をうちわであおぐという手伝いをした。

 

”お祭り”で思い浮かぶのは、中勘助(なかかんすけ)の『銀の匙』がすばらしい。

夏目漱石は、朝日新聞のお抱え作家で、文芸欄を担当していた。

漱石は『銀の匙』を高く評価し、「子供の体験を子供の体験としてこれほど真実に描きうる人は見たことがない」と感想を述べ、朝日新聞に掲載されるようになったという。

 

 

 

 

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