戦後の幼少時
昔を思い出しついでに、その頃のことをいろいろ回想した。
今思い返してそうだったのかと合点がいくことがある。
私が幼稚園、小学校低学年の頃は、まだ戦後の混乱期であった。
「闇市」の言われも知らず今のマーケットぐらいの感覚で「闇市」と言って買い物をしていた。
そして、親たちの間で「あれは特攻隊くずれだ」などの言葉も時々聞かれた。
はっきりと姿を覚えてはいないが、特攻死した仲間たちの無念な思いが自分の生と対比されて、やけっぱちになって酒を飲むなどしていた若者たちだったと思う。
そして、小学校の給食はおいしくないパンに脱脂粉乳のミルクとおかずだった。
毎日、鯨の肝油が数粒配られた。ドロップの形でゼリーみたいに少し柔らかく、おいしくはなかったが、栄養があると思って食べていた。
時々アーモンドが10数粒配られたのはアメリカからの支給品だったのだろう。
私はバターを持って行ってパンにつけて食べていた。おいしくない脱脂粉乳の臭いは今でも思い出される。
戦後数年間は、防空壕のことも話題になったりしていたし、家には防空頭巾が押し入れの隅に残されていた。
時代が変わって数十年後、夫の転勤で大津から神奈川県に引っ越しして、子供たち3人が小学校へ転入した。
そこで最初に持ってくるようにいわれたのが、防空頭巾とまったく同じの「防災頭巾」というものだったのには驚いた。
綿入れの防災頭巾を座布団代わりに椅子に敷いて、地震の際に備えるということだった。
防災頭巾は洋品店などでどこでも売られていた。
が、ほどなくして学校で座布団は使わなくなった。
大変な変遷の時代を生きてきたようだが、不自由さを感じることはなかった。
周りに田んぼや畑が多く、食べ物に不自由はしなかった。
当時飼っていた雑種の中型犬ハチは、麦飯を焚いてもらい、がつがつと平らげていた。
復興の勢いは瞬く間に生活を変えていった。
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