『老い』の覚悟
年末から来ていた三男一家も3泊して今朝帰った。
私はまだ依然と同じように振る舞っているようではあるが、3人の息子たちは母親の年齢を慮ってか、誰かが食器を洗い、誰かが拭いて、私は食後はゆったりできるようになった。
息子たちも食器洗いなど手慣れた様子でこなしている。ありがたいことだ。
みんなからは”若い”と言ってもらっているが、私の同級生たちも同じように見えるから一昔前の老人のイメージからすれば若いと思われるのだろう。
でも、外見よりも、自分では、頭のてっぺんから足先まで”老い”を感じている。
手は多少震えているようだ。先日私のカメラで友達の小学校のお孫さんに猫の写真を撮ってもらったら、ピントがピタッと合っていた。
足は少しよろけやすいので、つまずいたり転んだりしないように注意しなければならない。
88歳の曽野綾子さんは4回骨折して、2回は救急車で運ばれたとエッセイに書いていた。
「徹子の部屋」で中村メイコさんが最近骨折したと言っていた。
『ゲド戦記』の原作者で88歳で亡くなった米人女性のル=グィンさんの言葉は真実をついている。
《老齢であること、そのこと自体に敬意を払う伝統はある程度根拠のあることだ。毎日の生活をこなし、かつては簡単過ぎて気にもとめなかったことをするのが、年を取るにつれ、どんどん難しくなってくる。そしてやがては、そういうことをするのに、本物の勇気が必要になるかもしれない。老年期は苦痛と危険がつきもので、最後は不可避な死で終わる。そのことを受け入れるには勇気が必要だ。勇気は敬意に値する》
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