「老いの深み」
黒井千次著「老いの深み」を読んでいる。
現在92才になる氏が、80代後半から新聞に連載されたエッセーである。
私のこれからの10年がどうなるか、老いの行方とはこういうものなのか、自分の今後を示してくれているようで、興味深く読んでいる。
〈ヨイショ〉の掛け声が、今や立ち上がる動作に不可欠な要素となりつつある。
(私の叔母がソファから立ち上がる時、大きな声で〈ヨイショ―〉と言っていた。掛け声で自らを力づけていたのだろう)
杖について、初めは遊び半分のつもりであったが、なんとも使い心地の良い、いわば3本目の足として道に馴染み、こちらの身体を支えてくれるものへと変わっていることに気が付いた。----そうか、自分はもうこんな杖に支えられて歩く年齢になったのだ。だからこれは今や遊びではなく、年齢の自然であるのだと。すると散歩に出る気分に、前よりもゆとりと遊びの感覚が加わった。
老人と病人は本来しっかり別の人々なのであり世間では弱者であるかもしれないが、そして両者が重なり合う場合も多いのかもしれないが、それぞれの人間としての声を聞きたいものだ、と思うことがある。深夜、この両者の囁き合う声が漏れてくる。
------どこへ行っていたんだい? 心配したぞ。
------ごめん、病気のスーパーマーケットまでな。でも、もう行かないよ。
(氏が時には入院するようなことがあっても、このような軽妙な会話をこしらえる。発想がすばらしいと思う)
あとがきで、
この先はどうなるのかわからない。
-----まず生きてみなければ始まらない。
老いを自然のものとして受け止め、たじろがず正面から向き合って楽しんでいるかのようにさえ思われる。
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