2024年10月31日 (木)

「老いの深み」

黒井千次著「老いの深み」を読んでいる。

現在92才になる氏が、80代後半から新聞に連載されたエッセーである。

私のこれからの10年がどうなるか、老いの行方とはこういうものなのか、自分の今後を示してくれているようで、興味深く読んでいる。

 

〈ヨイショ〉の掛け声が、今や立ち上がる動作に不可欠な要素となりつつある。

(私の叔母がソファから立ち上がる時、大きな声で〈ヨイショ―〉と言っていた。掛け声で自らを力づけていたのだろう)

杖について、初めは遊び半分のつもりであったが、なんとも使い心地の良い、いわば3本目の足として道に馴染み、こちらの身体を支えてくれるものへと変わっていることに気が付いた。----そうか、自分はもうこんな杖に支えられて歩く年齢になったのだ。だからこれは今や遊びではなく、年齢の自然であるのだと。すると散歩に出る気分に、前よりもゆとりと遊びの感覚が加わった。

老人と病人は本来しっかり別の人々なのであり世間では弱者であるかもしれないが、そして両者が重なり合う場合も多いのかもしれないが、それぞれの人間としての声を聞きたいものだ、と思うことがある。深夜、この両者の囁き合う声が漏れてくる。

------どこへ行っていたんだい?  心配したぞ。

------ごめん、病気のスーパーマーケットまでな。でも、もう行かないよ。

(氏が時には入院するようなことがあっても、このような軽妙な会話をこしらえる。発想がすばらしいと思う)

あとがきで、

この先はどうなるのかわからない。

-----まず生きてみなければ始まらない。

 

老いを自然のものとして受け止め、たじろがず正面から向き合って楽しんでいるかのようにさえ思われる。

 

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2024年8月18日 (日)

『お嬢さん放浪記』

犬養毅の孫である犬養道子の『お嬢さん放浪記』を読んでいる。

28才から9年間、アメリカ、ヨーロッパを渡り歩き、日本では、キリスト教精神をもとに、生涯、慈善事業に取り組んだ。

読み始めて、冒頭からこの人はただのお嬢さんではないという事がわかる。

時には食べることに事欠くほどの困難に会いながら、並外れた知恵と勇気と行動力で切り抜けていく。

アメリカで留学してすぐに結核にかかり、3年間療養所で過ごす。

しかもその間の費用を、やったことのない手芸をにわか仕込みで身に付けて商売にしてかなりの収入を生み出すなど、冒険心と知恵に驚嘆させられる。

英語、フランス語を話し、オランダ、スペイン、ドイツ、イタリア、フランスと、9年間の旅で、観光には縁のない貧民窟などに入り込み、貧しい人たちの心に溶け込み、交友を深める。

じかに接した人達どうしの深いつながりは、大きな財産となって、残されていると思うのである。

 

 

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2023年11月 1日 (水)

室生犀星の先見の明

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『 ふるさとは遠きにありて思うもの  そして悲しくうたうもの よしや うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても 帰るところにあるまじや 』

室生犀星の詩である。  

小説では「あにいもうと」「杏っ子」などが有名である。

室生犀星の『我が愛する詩人の伝記』を読んだ。

自身は72才まで生きた人であるが、親しく交友のあった詩人仲間たちの早すぎる死に対して、感慨深く語っている。

”もう後五十年たてば人間は六十歳くらいの年齢で、改健期の国家手術が行われ、いまの生年の二倍くらい生きられることはうけあいである。つまり心臓とか胃腸とか頭脳とか視力とかの老衰状態は、その部分の改健手術によって保存されるのである、その時世にあっては人間の性格というものの悪辣残虐な行為も、いまの倍加を意味するであろうが、・・・そういう天国(ごくらく)をみすみす指折り算えながらわれわれは死ななければならないことは、額に汗する思いなのである。”

 

このとき犀星は69才、1958年のときの感慨である。

まさに私たちはその通りの人生を生きている。

今起きている戦争の悪辣残虐な行為が、なぜいつまでも続くのか!

犀星はそんなところも見通していたようだ。

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2023年8月29日 (火)

岡部伊都子の『おりおりの心』

本棚の中の、かさばる単行本は読み直して、少し汚れていたり、カバーが破れていたりするものは資源ごみの日に出し、きれいなものはブックオフへ持っていくことにして、仕分けしている。

岡部伊都子の『折々の心』は、賢い女性の、情愛がにじんでいて、日々の生活をいかに大切に過ごしていたかが細やかに語られている。

それでいて、体が弱く、”老い” ”死” に対する覚悟は常に持っている心の強い女性だった。

もう何十年も前に読んだ本だが、”また読みたい”と思うこともあるかもしれない・・・、手放すのが惜しくて、また本棚にとどめた。

生き方のお手本になるような、潔い言葉の数々は、心を強くしてもらえる。

『なんといっても、人の一生はとりかえしのつかない時間によって成り立っている』

常に唱えていたいような言葉である。

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2023年8月 8日 (火)

病院の待ち時間

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蚊が入るから長い間ベランダには出してやらなかったが、ベランダにセミがあおむけになっていて、網戸越しにしきりに出たがって鳴くので、ちょっとだけ開けてやったら、サッとセミをくわえて部屋に戻った。

セミはまだ生きていて、しばらくはピッチに追い掛け回されていたが、そのうちセミは手が届かない場所に逃げ込み、ピッチもあきらめたようだ。

 

身の回りのものを減らしてすっきりさせたいと、本を読み返している。

出掛ける時は、読みかけの本よりも、本の重さで選んでいる。

カテーテル検査のときは、100ページ余りのヒルトンの「チップス先生 さようなら」を持って行った。

検査前の準備で、点滴を打ちながらの3時間ほどは、イギリス紳士の教師の生涯が描かれた、しゃれて心温まるエピソードに、ほのぼのとした気持ちで過ごした。

検査後は3時間、右手首と肘の手前のカテーテルを抜いた後を器具でグーッと締め付けているので本を読むような気分じゃない。

次の診察日には、頸動脈エコー検査と手足の血圧を測って動脈の詰まりを調べる検査があり、待ち時間も長い。

スティーブンソンの「ジーキル博士とハイド氏」を持って行った。これも100ページ余りでスリルがあって面白い。

 

読んだ後は、少し汚れや破れなどがあれば、紙ごみの日に出す。

きれいだがそばに置いておきたいというほどでなければ、ブックオフに持っていく。

「ジーキル博士とハイド氏」はブックオフへ、「チップス先生 さようなら」は捨てがたくて残している。

 

 

 

 

 

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2023年4月28日 (金)

読み残していた本(2)

民主党政権の時の農林水産大臣だった山田正彦さん著の『売り渡される食の安全』

農業はこうあるべきと強く思わせられる本である。

”遺伝子組み換え食品”と、”ゲノム編集された食品”の危険性を訴えている。

 

遺伝子組み換えとは、【目的に適した遺伝子を見つけて取り出し、まったく別の生物の遺伝子を人為的に組み込む作業】のこと。

例えば、《除草剤への耐性をもつ遺伝子組み換え大豆は、除草剤メーカーの排水溝から偶然発見された、除草剤に耐性をもつ微生物の遺伝子を大豆に組み込んで作り出された。大豆の遺伝子に、まったく別の生物の遺伝子が組み込まれている》

ゲノム編集とは、【特定の遺伝子をピンポイントで切断することで、生物の特徴を変える技術】の総称のことで、

「ムキムキの鯛」とか、「果皮がまだ青い段階のトマトの遺伝子のなかで、実を熟成させる遺伝子の部分だけを切り取れば、2年でも3年でも青々としているトマトを保管できる。出荷させる直前にエチレンガスをかけて熟成させて流通させる」ことが可能だという。

ゲノム編集された食物に表示義務はないという。 

 

動物実験などで危険性が指摘されている、遺伝子組み換え作物を日本で食べるようになって20年ちょっとしかたっていない。

アスベストでさえ、人間への実害が明らかにされるまで約40年かかった。

弁護士でもある山田さんは、日本の食の安全を守るために、正しい農業のありかたについて訴え続けている。

 

 

 

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2023年4月27日 (木)

読み残していた本(1)

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毎食、食卓にタケノコが出ないことはない。

炊き合わせの相手が変わればまた違った味でおいしい。

 

疲れると、すぐに息が上がるので、ベッドの上にいることも多い。

眠くなければテレビのワイドショーを見たり、本を読んだりしている。

おかげで、読み残していた本などを読み終え、読みたい本を読み返したりしている。

 

二葉亭四迷の『浮雲』  明治18年のの官制改革で免職になった青年が、理想を保とうとして、悶々として送る日々を描いている。            二葉亭四迷は理想主義者で、この本を出版したことについて、「生活上の必要は益々迫って来るので、よんどころな   くも『浮雲』をこしらえて金をとらなきゃならんこととなった。で、自分の理想からいへば、不埒な不埒な人間となって、銭は取りは取ったが、どうも自分ながら情けない、愛想の尽きたくだらない人間だとつくづく自覚する。そこで苦悶の極み、自ずから放った声が、くたばって仕舞え(二葉亭四迷)!」と筆名の由来を書いている。

 

斎藤幸平の『人新世の「資本論」』  著者はまだ30代の経済思想家で、その博学多識を注目されている。                  坂本龍一さんが ”気候危機をとめ、生活を豊かにし、余暇を増やし、格差もなくなる、そんな社会が可能だとしたら。” と、推薦の言葉を述べている。

 

                

      

 

 

 

 

 

 

 

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2023年4月 9日 (日)

『志賀直哉随筆集』が2冊

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心臓は落ち着いているようだが、時々風邪気のような、気分がすぐれず、日中もベッドに横たわることも多い。

そうして、本を読んだり、眠くなればそのまま一寝入りするというような日々。

緊急入院するとき、とりあえず買って読み始めたばかりの『志賀直哉随筆集』をバッグに入れていた。

おかげで入院中の1週間、気分が良いときに開いた。

志賀直哉って、何気ない日常のことを感情豊かにこまごまと述べているところが、まったく飽きさせないで感動を呼び覚まされる。

”いいなあ~”と、ちょうど1週間で読み終えたところで家に帰った。

当分、本屋などには行かないし、家にある本を読もうと思った。

主人が昔買っていたものか、いつか読もうと思っていた、哲学者のように静かで思慮深そうな風貌に見覚えのある亀井勝一郎の『私の人生観』を読み始めた。

昭和39年に出版された、講演会で話したことをまとめたものであるが、今読んでも警鐘に富んでいて、読み終えて、座右に置いておきたいと思うほどの深い内容の本だった。

ところで、次は何を読もうかと、文庫本をつらつら見ていたら、なんと、入院中に読んだ『志賀直哉随筆集』が出てきた。

4,5年前に買ったらしい。

今回読んで、ン?読んだことがあるような?と思ったことはあったが、短編集の中にでも書かれていた話だろうと。

ストーリーのない随筆のことだから、覚えていなかった。

私にはたまにこんなことがある。

ま、のんびりと、その時を楽しめばいい。

 

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2022年9月19日 (月)

『老い』についての本

20年ほど前に買った南 和子さんの『女性の英会話』を、読み直していて、社交上手なこの女性はどういう人なのかと、ネットで調べてみた。

筑摩書房から本を数冊出版していて、『暮しの老いじたく』『老いを生きる暮しの知恵』の2冊を購入した。

著者は64歳のとき、骨粗鬆症から3か月も歩けなくなるひどい腰痛に見舞われた。

以後、それを克服するために行ってきた様々な努力や、老いに備えて準備すべきことや心構えなどが細かく綴られている。

75歳からを後期高齢者と呼ぶには、私たち同級生が集まって話をするとき、だれもが納得している。

血圧が高くなったり、コレステロール値が上がってきたり、骨折の話も珍しくない。

南 和子さんは、

”年をとればとるほど「健康」とは、医学的にいう病気や障害を持っていないかどうかよりも、精神的に前向きに、周りの人とよい関係を保って、明るい気分で一日一日を暮らすことができるかどうか、これがまず第一なのではないだろうか。”

と言われている。

年をとることをただ悲観的に思わず、まだまだ人生を楽しくする気持ちを持ち続けたいと思う。

 

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2022年8月25日 (木)

テレビゲームについて

外山滋比古の 『あたまの目』人生の見かた というエッセーを読んだ。

著者によれば「”あたまの目”とは外にある目玉ではなく、頭の中の目である。いくらか知的な心の目とでもいったらよかろうか」と、あとがきで説明している。

一つ一つの事象について、こういう心理が働いているから、こういう結果になるのかと、いちいち納得させられる。

その中の一編、〈未熟の徳〉で テレビゲームについて学者から聞いた話を書いている。

 

それによると、週に3,4回、一度に1~3時間、ゲームをすると、脳に変化が出る。

脳波には二つあって、目をあけて静かにしているときに出るのがアルファ波。ベータ波は精神活動をしているときに出る。

テレビゲームを始める前はアルファ波はベータ波と同じ程度だが、ゲームを始めると、ベータ波が低下して、アルファ波を下まわるようになる。思考の働きが低くなっていることを示す。これを半ゲーム脳という。

さらに2~7時間ずつテレビゲームをすると、ゲーム中のベータ波がゼロに近づいて、思考の働いていない状態になる。視覚と運動回路が直結し、思考が欠落する。これがゲーム脳である。

ゲームを続けていると、前頭前野の活動が慢性化し、やがては社会的適応が阻害されたり、痴呆を招くおそれがある。

 

テレビゲームをなんとなく複雑で頭を使うもののように思っていたから、この話につよい印象を受けた、という。

 

三男一家が家へ来て2泊過ごして帰っていった。

中学生と小学生二人のの3人の孫たちがテレビゲームをしていたとき、三男に、この3ページ分だけ読むことを勧めたら、読み終えたあと、すぐに子供たちに、「もうゲームをやめろ!」と言ってやめさせた。

 

外山滋比古さんは一昨年、96歳で亡くなられた。

”90歳代になっても知的好奇心を失わない生き方で注目を集めた”と言われた人であった。

 

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